理容室でくるくると回っている赤白青のサインポール。
三色になった由来は?なにか意味があるの?
理髪店の歴史を探り、床屋さんの象徴であるサインポールの謎に迫ってみました。
サインポールとは
サインポールは理容所(一般的には床屋、理容室、散髪屋、理髪店とも呼ばれている)
を示す細長い円柱形の看板。
赤、白、青の三色の縞模様(レジメンタル・ストライプ)がクルクルと回転しています。
理容室の歴史
理容は古代エジプトから始まり、中世ヨーロッパ時代で理容業がスタートしました。
当時の理容師は外科医を兼ねて「理容外科医」と呼ばれていました。
理容の歴史は、外科が医学の分野として記録されるようになった12、3世紀頃から外科医史に登場しており、
外科医と理容師がはっきり区別されたのはルイ14世の時代からです。
「床屋」の名前の由来
床屋の始まりは、古い記録によると1200年代、
武士出身の家柄である采女亮(うねめのすけ)という人が現在の山口県下関市で武士を客として、
月代(さかやき)といって額から頭のてっぺんを剃り落とした髪型に施術する仕事をはじめました。
これが 日本における最初の床屋と言われています。
その店には床の間が設えられ、そこには天皇をまつる祭壇や掛け軸があったことから、
当時の人々は最初は「床の間のある店」と呼び、それから「床場」と呼び、
さらに「床屋」へと呼ぶようになったと言われています。
理容店の「赤」「白」「青」のサインポールの由来は?
理容店のくるくる回る「赤」「白」「青」のサインポールの由来は、中世ヨーロッパまでさかのぼります。
その当時、病気などの患者さんに対し、ポピュラーな治療法のひとつに、「瀉血(しゃけつ)」がありました。
これは「身体の悪い部分には悪い血が集まる」という考えから、その部分の血を抜き取るという治療法でした。
治療に際しては、患部を切開して血を抜き取る際に、患者に棒を握らせ、腕を固定し、
そこを伝って受皿に落ちていくようにしていましたが、握らせた棒にも血が伝わるため、
それを目立たなくするために棒を赤く塗って使用するようになりました。
その棒は、barber-surgeon’s pole(理容外科医の棒)と呼ばれていました。
治療が終わった後、洗浄したその赤い棒と傷口に巻いた白い包帯を店の軒先に干していたところ、
風に吹かれてその白い包帯が赤い瀉血棒にらせん状に巻き付きました。
その模様が、現在のサインポールの原形になったと言われています。
そののち、1700年代にフランスや英国で、理容師と外科医が区別された際、
理容師は赤・白・青を、外科医は赤・白にと定められたため、
理容店の看板は今日の赤・白・青の3色になったといわれています。
しかし、サインポールの由来にはその他色々と諸説あり、かつ明文化された記録が存在していないため、
由来の調査はとても困難なようで、あくまで有力な説というだけにとどめておくことしかできません。
サインポールを創案したメヤーナキール
三色のサインポールは、1540年頃、パリの外科医メヤーナキールが創案し、
彼の医院の看板に用いたのが始まりです。
理容師が外科医を兼ねていた歴史の中で、彼は医師から理容師になった人物です。
日本では東京の常磐橋の側に在った、「西洋風髪剪所(かみはさみしょ)」で、
明治4年にサインポールを用いたのが最初となります。
サインポールは世界共通のマーク
メヤーナキールが創案したサインポールは、彼の門下生が真似をし、理髪外科医の間で広まっていきました。
現在では、イギリスなど一部の国ではサインポールは2色ですが、赤白青の3色のサインポールは、
散髪屋を示す看板として世界共通のマークとなっています。
国際基準化しているわけでもないのに、世界中に広まり、
世界共通のマークとなって行ったというのは驚きですね。
理容師は外科医として活躍後、ファッション業界へ
理容の歴史をたどると床屋の象徴であるサインポールに
なぜ医療の意味が込められた説があったりしたのか理解できましたね。
昔々、理容師は外科医として活躍しました。
その後、カットやパーマ、カラーリング、シェービング(顔そり)などの理容技術をもって人を美しくする
という美的感覚を働かせたファッション業界へと推移していき、現在の理容室となっています。